「ハムレット」(シェイクスピア)

次々と現れる悲劇、悲劇、悲劇。

「ハムレット」
(シェイクスピア/福田恆存訳)
 新潮文庫

父王の亡霊が
夜な夜な城壁に現れるという
噂を耳にし、ハムレットは
自らそれを確かめる。
父の亡霊に会ったハムレットは、
父の死が実は
叔父クローディアスによる
毒殺だったと告げられる。
復讐を誓ったハムレットは
狂気を装い…。

城に現れる亡霊、
父親の死の真実、
復讐を誓う王子、…、
こうした要素が
江戸川乱歩を読みあさっていた
私の心を虜にしました。
実は私、本作品は小学校の
図書館で読んだのが最初でした。
小学生向けに書き直された
小説の形のものでした。
わくわくしながら読みました。
でも、大人になって、
戯曲としての本作品を
読むようになったとき、
何かしっくりこなかった
感覚があります。

小説として読むと、その筋書きには
疑問を感じる点が多々あります。
叔父への復讐の機会は
あったはずなのに、
狂人のふりをして
なかなか手を下さない主人公。
案の定、奸計にはまり、
死地へ送られる。その割と、
都合がよすぎるような展開で帰還し、
再び叔父と対峙。またもや
復讐するかと思えば策略によって
死の決闘をする羽目になる。
支離滅裂です。

復讐劇や仇討ち物語は普通、
主人公が敵討ちを固く誓い、
傍目には平静を装いながら
用意周到に準備を整え、
一気に天誅を下す、というのが
定番でしょう。
自身が狂態を演じたため、
恋人の人生まで
狂わせてしまうのですから、
主人公に正義はありません。
したがって勧善懲悪劇でもないのです。

この10年、
演劇やオペラを観るようになって、
ようやくシェイクスピアの
良さがわかるようになってきました。
シェイクスピア作品は戯曲です。
あくまでも舞台の上で演じられたとき、
その真価が発揮されるのです。
一貫していない主人公の性格や、
ご都合主義とも言える展開など
問題にすべきではないのです。

壁掛けの後ろの気配に
剣を突き立てると、
そこには恋人オフィーリアの
父ポローニアス。
続いてそのオフィーリアも狂死する。
決闘ではその兄レイアーティーズも
自ら仕込んだ毒刃に倒れる。
母も叔父も毒杯に命をうばわれ、
ハムレットもまた相討ちとなる。
デンマーク王家とその重臣一家、
全員が死に絶えるのです。
頭の中に舞台を創り上げていくと、
そこに浮かび上がるのは、
運命が狂いだしたかのように
次々と現れる悲劇、悲劇、悲劇。

舞台に漲るであろう強烈な狂気と、
不完全な人間としての
主人公ハムレットが、
再読するたびに
鮮烈な印象を持って迫ってきます。

シェイクスピア恐るべし、
イギリス文学恐るべし。
本作品成立は1600年。
極東の島国で
小競り合いをしていた時期に、
彼の国ではこのような舞台芸術が
完成していたのですから。

※映像作品として、
 オペラでは
 「ロミオとジュリエット」
 「オテロ」
 「マクベス」、
 舞台では
 「ヴェニスの商人」
 「あらし」などを観ましたが、
 本作品にはまだ出会っていません。
 NHKーBSのプレミアムステージで
 いつか放送されることを
 楽しみに待ちたいと思います。

(2020.7.7)

acworksさんによる写真ACからの写真

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